2008年04月08日
伊達さんの復活に思う
伊達公子さんが現役復帰だそうで・・・
なんとなく感慨深い。
以前私がスクールとして通っていたインドア・コートは半分はスクール用に一般に公開されていたけれど、残りの2面はナショナル・テニスセンターと呼ばれ、全日本用のコートだった。
丁度スクールの時間カーテンネットをはさんで隣のコートで練習していたのが伊達さんだった。
同じ敷地内にスポーツクラブもあって、私はプールとかでクールダウンしてお風呂に入るために通っていたけれど、伊達さんは練習の後そこでトレーニングもしていた。
ということでお風呂で会うこともしばしばあった。
無駄な肉が全くついていない綺麗な身体だった。
でも身長は私とほとんど変わらない。世界から見たら本当に小さいほうだったのだろう。
最初に伊達さんだと分かったときはウインブルドンの前哨戦でかなり大きな怪我をして、膝にぐるぐるにテーピングしていた姿の時だった。痛そうにプールで歩行訓練なんかしているのを見た時この人復活できるのかしら・・・と、訝ってしまった。甘い世界ではないし・・・と。
それでも、徐々に彼女はペースをあげていき、全米OPENでは初のベスト8に身内の事のように嬉しかった。
その後も彼女はそこを拠点に練習をして世界を回っていた。表情は次第に厳しくなっていって、肩にぐるぐるにアイシングしている姿なんかを見ては痛々しく思ったりしていた。
だから引退宣言をした時は、しょうがないかな・・・なんて思ってしまった。
NYのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた引退セレモニーは、丁度このスポーツクラブのテレビで見ていたのだけれど、丁度トレーニングに来ていた松岡修造さんが、ずかずかと近づいてきて、ボリュームをあげて見ていた。セレモニーを見終わってマシンに戻るとき、修造さんは「大したもんだ」と一言だけ・・・。
本当に、大したもんだ。
あれから11年
練習していたコートは今はマンションになってしまっている。
いろいろな事が変わっている。
復帰とはとても大変な事だと思う。
世界ではなくてとりあえず日本国内ということだけれど
頑張って欲しいと思う。
同じコートでテニスをしていた同胞(生意気?)として・・・
なんとなく感慨深い。
以前私がスクールとして通っていたインドア・コートは半分はスクール用に一般に公開されていたけれど、残りの2面はナショナル・テニスセンターと呼ばれ、全日本用のコートだった。
丁度スクールの時間カーテンネットをはさんで隣のコートで練習していたのが伊達さんだった。
同じ敷地内にスポーツクラブもあって、私はプールとかでクールダウンしてお風呂に入るために通っていたけれど、伊達さんは練習の後そこでトレーニングもしていた。
ということでお風呂で会うこともしばしばあった。
無駄な肉が全くついていない綺麗な身体だった。
でも身長は私とほとんど変わらない。世界から見たら本当に小さいほうだったのだろう。
最初に伊達さんだと分かったときはウインブルドンの前哨戦でかなり大きな怪我をして、膝にぐるぐるにテーピングしていた姿の時だった。痛そうにプールで歩行訓練なんかしているのを見た時この人復活できるのかしら・・・と、訝ってしまった。甘い世界ではないし・・・と。
それでも、徐々に彼女はペースをあげていき、全米OPENでは初のベスト8に身内の事のように嬉しかった。
その後も彼女はそこを拠点に練習をして世界を回っていた。表情は次第に厳しくなっていって、肩にぐるぐるにアイシングしている姿なんかを見ては痛々しく思ったりしていた。
だから引退宣言をした時は、しょうがないかな・・・なんて思ってしまった。
NYのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた引退セレモニーは、丁度このスポーツクラブのテレビで見ていたのだけれど、丁度トレーニングに来ていた松岡修造さんが、ずかずかと近づいてきて、ボリュームをあげて見ていた。セレモニーを見終わってマシンに戻るとき、修造さんは「大したもんだ」と一言だけ・・・。
本当に、大したもんだ。
あれから11年
練習していたコートは今はマンションになってしまっている。
いろいろな事が変わっている。
復帰とはとても大変な事だと思う。
世界ではなくてとりあえず日本国内ということだけれど
頑張って欲しいと思う。
同じコートでテニスをしていた同胞(生意気?)として・・・